沿革

2011年7月27日

 交野に人が住み始めたのは、今から約1万3,000年前といわれます。縄文時代早期の神宮寺遺跡や弥生時代の南山遺跡をはじめ、古墳時代には森地区に大規模集落が形成され(森遺跡)、森古墳群(古墳時代前期)・交野車塚古墳(古墳時代中期~後期)が築かれるなど、交野地方は豪族肩野物部(かたのもののべ)氏の治めるところとなりました。

 
 奈良時代には、交野郡の役所が郡津地区に置かれ(交野郡衙跡)、平安時代には、宮廷人たちが交野が原を訪れ、狩りを楽しんだことが『続日本紀』や『日本後紀』に記録されています。室町時代には、河内守護畠山氏の支配下におかれ、その後戦乱の世となり交野地方も戦渦に巻き込まれました。私部城城主安見(やすみ)氏の名も『信長公記』に登場します。江戸時代には幕府直轄の代官と譜代大名の支配下となりました。
 

 明治維新後、河内県、堺県と管轄が代わり、明治14年に大阪府管下となりました。明治22年市町村制の公布で、交野村(私部、倉治、郡津)、磐船村(森、寺、私市、傍示)、星田村ができました。
 

 昭和14年に交野村と磐船村が合併して交野町となり、昭和30年、町村合併促進法の施行で、交野町と星田村が合併し、新しい交野町に。人口わずか1万人で素朴な農山村の面影を残していましたが、昭和45年10月1日には3万3,701人(国勢調査)を数え、都市的施設の充実に努めるため、昭和46年11月3日に市制を施行しました。以来40数年、交野は緑豊かな田園都市として、約8万人の人口をかかえるまちになりました。